昭和四十五年六月三十日 大祓式 親先生の御講話
今日の大祈願祭、悪疫・交通安全大祈願とうっての祈願祭。せっかくこうして祈願祭をさせて頂き又お参りをさせて頂き又大祓いを受けさせて頂いたのですから、その徳というかそのおかげというものがひとつしっかり心に形に頂けなければ無意味な事でございますから、心して頂き流しませんようにおかげをこうむらなければならん。例えて申しますと、今すぐ食べなければ悪くなるというもの、又これは、いつまでおいておってもいつでも食べられるというものもあります。
缶詰のようなものですよね、これはいつまでもおいておってもふたを開けなければいつでもどこでも頂かれる訳でございます。
今日は、私、いつまでも残るもの。いつの年の大祓いにいわゆる祈願祭の時に頂いた以前昔は、大祓式というておったんですね。これは、もちろんしんどうから来たひとつの形式なのです。ですからそれになろうて大祓式と、その名残が皆さんが今日お出しになった「はらえつもの」といったような事になっております。
【 】これは村々でも今日はちょうど半年終わらせて頂いたという一年間を通してその半分を無事にすごさせて頂いたと、そのお礼をこめ又いよいよ暑くなるだから夏ごしの祭り、いわゆるなごしとも申します。そういういよいよ時期が暑くなってものがすぐ腐りやすい、腐敗しやすい人間の心も同じにやっぱりだらけてくる。そこから病魔のおかすところとなったりいたします傾向が非常に強いのでそういうはやり病などにもかからんように、半年のお礼を申し上げると同時にそういう願いを込めていたします。氏神様の前に私共の【 】かやでまるい輪ができましてね、その輪をくぐらしてもらういわゆる輪くぐり、そして一年中の悪疫から又はいろんな難儀の中から救うて頂くというようなお祭りがもうこれは古代からお祭り、しきたりがあっておった。それを金光教でも採り入れさせて頂いて大祓式と申しておりましたけれど、大祓式というのは金光教的ではないというので最近ではそれが廃止になりました。そしてそれを各教会で半年の御礼祭といたしましたり、ここは悪疫予防・交通安全大祈願祭という。これはここのもんなんですね、どこでもそういういろいろ形式は少し違いましょうけれども、お祭りがある。普通のお祭りと違いますようにあそこに「大ぬさ」が出されまして大ぬさの前で御祈念があったりするのは大祓式の名残であります。そういうな訳でございますから、金光教全体がこのお祭りをしておるという事じゃない訳ですね。私はおお祓式のたんびに思い出すいろいろの事がございます。申しますならばです、あの時に頂いたお話がある。あの時に体験させて頂いた事が大祓式のたんびに大祈願祭のたんびに思い出されていつもそれを有り難いと思わせて頂く事がある。ある大祓式の時に甘木の初代のお話を聞かせて頂いた。甘木の初代といや当時、本当に日本一と体得の先生として大変こうとくな先生でありました。やはり年々さいさいそして大祓式がございますから、ある先生が大体うすうすみんな感じておった。大祓式というのはどうも只、祓うただけでその災難がよけられるとか、祓うただけでおかげが受けるなんて事はどうも金光教的じゃありません。先生だいたいこういう事をしてから何か効果がありましょうかと尋ねた先生があった。そん時ね先生がおっしゃったという事はどういう事かというと「そうなあ、せんよりかよかばい、参らんよりかよかばい」とおっしゃった。けれどもね、私はその事がねだんだん~こうして大祓式など自分が奉仕させて頂くようになりましてからね、いよいよその事の素晴らしい事を気付かせて頂いとります。大祓式に参る参らない、そりゃ参ったがたはある。只紙でこうこう切ったようなものでこうこう祓うてもらう、それだけの事だけれども祓わんよりかよか、という事が安武先生がおっしゃる、その参れば参ったがた祓うたら祓わんよりかよかという事は、それでもたいした事だと思うですね。おかげわ受けると受けないの境というのは紙一重ですからたったそれが紙一重の事であってもその事によっておかげが受けられる受けられないということにつながってくるんですから大変な事なんです。その事がね、これは私の心の中に一生このことが残る事でございましょうけれどもね、いわゆる私の心の中にその甘木の親先生のお言葉がです、それこそ
缶詰のような御教えになって今日までおかげを頂いておるという事です。ははあ
大祓式にはかかされない。もう一家にあげて大祓式には何を於いてもお参りさせて頂いた。
これは私共が福岡での修行中の時分に家内中大祓のお祭りにおかげを頂いて帰らせて頂いた。帰らせて頂いたら表が開いとる。裏に回ったら裏の方も開いとる。
確かつめて行ったのに開いておる。入ってみたところが中はもう誰かが入った形跡なんです。もう正しくこりゃ泥棒が入ったなという訳です。対して取られるようなものもなかったけど、まだ商売をしておりましたから商品が少しありました。
その時分に私のお店を手伝って下さる方が三人あった。三人の方達が洋服やらズボンやらシャツやらここにかけとった。私は初めの間はここにあった商品が持っていかれたなあと思うておりましたら、次々その店の人達が帰ってまいりましてから「あら、私の上着がなか」「私のズボンがない」もうとにかくね、みんなのものを一点ずつ取られておったという事であった。私はそん時思いました。おかげを頂いて今日の大祓いのお祭りの日にお取り祓い、本当のお祓いを受けたというもうそれこそすがすがしい思いですぐその場でお礼に出た事があります。
今日、私、そのそういう風に祓うて頂くという事はです、それに又お参りをするという事はです、参らんよりか、祓うてもらえば祓わんよりもよかという事がです、それは本当にてんでおしただけかもしれない、それは紙一重かもしれないけども紙一重が大変なのだという。だから大祓式の時には誰も彼もみんな家族中の者が子供達までもみんな連れてきてお祓いを、いわゆる祓うて頂くという事をです、そのようにひとつ祓わんよりよかというとどうでもよかごたるけどもね、その事は大変な事だという事がです、私はだんだん~最近それが分かってきた。
【 】はあ、うちの子供も連れてくればよかったと思いよんなさるだろうがです、来年から【 】して下さい。同時にです、それはそれなりにこれからおかげを頂かして頂くお話をさせて頂きたい。祓うてもらう、祓うという事。
私は今日ここで座らせて頂いとりましたら、もうお祭り中なんべんもなんべんもはろうた自分の顔の前を。はえがうるさくやって来るんです。だから何回も何回もやるけれどやるけれど又やってくる。こんなにわずらわしい事はないですね。祓うという事はそんなに素晴らしい事なんです、だから。わずらわしいものを祓うという事。いわゆる祓うてもらう。それから「不浄汚れというものは自分の心で祓う事もあればおかす事もある」という御教えがあります。これは自分で祓うという事。祓う事もありゃ同じ事柄でありましてもそれで自分の心を汚したりそれで自分が身動きが出来ないようなりょうしんのかしょくにさいなまれたりするような事柄がありますけれども、それを自分で祓うという事、そこには信心の修行、信心を積んでおらなければ自分で祓う事は出来ない。次にはね、はろうて頂くという事がある。はらいを頂くという。はろうてじゃなくてはらいを頂くという事、それが私が申しますように、おはらいから帰らせて頂いたらうちのものの店の方達のもんまでが、その上着、ズボンというように一点ずつみんなお取り祓いを頂いておったという事、これははろうて頂く実を云うたらはろうて頂くという事が一番素晴らしい事なんです。自分で自分の心の上にかけられておる黒い雲がある、それをはらう。
はらうといえば、小倉の初代がお商売をなさっておられ、外で使用人として働いておられた。主人の心にかなわん事があって主人からこっぴどく悪く云われたり叩かれたりしてもういよいよ自分というものに愛想が尽きられた。そしてまあ死んでお詫びをというところまで思いつめられましてね、とにかく死ぬなら死ぬるで死ぬる前にいっぺん御霊地の金光様におめにかかって、そしてお暇させて頂いてから死なせて頂こうという覚悟をされた。大変一途なお方で私達から横着な者から考えるとですね、その問題というのはそんなにたいした事じゃなかったと思うんですけれども、そのことをそのように深刻に考えられたんですよね。そして、そういうところまで思いを死というところまでにも追いつめなさった訳。そして御霊地にお礼に出られまして、当時、二代金光様、四神金光様の前に出られましてね、もうこれが最後のお暇ごいだと思うもんですから深刻な事だったでございましょうね。そうしましたらお取次なさった金光様がすーっと御結界をお立ちになってからややしばらくいたしますと、封筒を手に持ってみえられた。そしてその封筒を手で叩きながら「桂さん桂さん」とおっしゃる。そこにかしこまってある桂さんもびっくりして頭を上げられると、「目の前のハエは、これではらいなさい」と云うてから渡された。何気なし、それを頂いてそれからどういう事であっただろうかと思うてそれを宿に帰られて開かれたら、それが自分が死ななければならない元の事のお取り祓いであった。ある金額を自分が弁償しなさらなければならないその丁度弁償しなさらなければならないだけの金額がきちっとその封筒の中に入っておった。それこそ、もう大変な感激でだったでしょうね。なる程、生神様だと思われた。早速又それを持って御結界に出られましてから御結界で平蜘のように平伏させて頂かれた。そして四神様にこういう事をお誓いになった。桂 松平がこの世に生きておる限り、それこそ生き変わり死に変わり。昔桜 そうごろうという人は、「七度生まれ変わって、この恨みをはらすぞ」と云うて亡くなったという事ですけれども・・・この桂 松平は、それこそ七度生まれ変わって道の為につくさせてもらう、これがいわゆる桂先生の七生報国という有名なお言葉。七度生まれ変わってお道の為につくさせて頂きますとこういう。ことこりが道のため神様の御ためであることならば、前には進んでも決して後にしりぞくような事はいたしませんという堅い誓いを金光様になさってお取次を願われて帰られた。そしてあのような立派な体得な先生になられ、九州にこのような道が開けてきた訳です。ですからやっぱりどうでも桂先生の生まれ変わりというのが、やっぱり次々になからないけん訳ですよね。だから皆さんも、どうでもこうでも私こそひとつ桂先生の生まれ変わりと思われるくらいなお徳を受けて、世のため道のためこの有り難い御教えを世界万国に輝かさんとおっしゃった桂先生の御信心を広めていかせて頂くほどしのね、信心を頂かなきゃならん。これは目の上のそのわずらわしいものをハエを、この封筒ではらえとおっしゃったという事がです、このような有り難い九州に道が開けるような元になってきた、それはらわれた事が。だからはらうという事が大変な事だという事が分かりますね。
今朝の御理解に「信心は家庭に不和のなきが元なり」と。信心は家庭に不和のなきが元。【 】信心をさして頂いて教えを頂かしてもらうと本当に不平ども云う事はない。もうみんながお礼を申し上げる事ばっかり。ほんとにあんたのおかげであなたのおかげでと、家族中の者がむつび合い、拝みおうていけれるほどしの事をおっしゃられたんでしょうね。信心は家庭に不和のなきが元であると。それがね、例えば今月のいわゆる焦点であります。もう今月がその終わりですから皆さんどういうことでしょうか。今月の焦点は仲良う楽しゅう有り難うという事でしたよね。世の中には仲良う楽しゅう行っておる人がたくさんあります。それは信心が無くてもあります。信心頂いておるとです、信心しよってからそげなこつ云ってから大きな声出してから隣近所から笑われるよ。金光さま信心しよってからあんたどんごと親子喧嘩したり夫婦喧嘩すんなら、そげな妙な声出しなさんな、と云うてね大きな声が出らないという事が不和ではないという事。それが円満ではないという事。先日の二十八日の信徒会に平田会長が見えられませんでしたから、奥さんが見えられましたね。奥さんが丁度一時間にわたって自分の頂いてみえられた信心を話しておられました。その話の中にいたるところに出ておりますね。それはね、うちの主人が喧しい、こんな時にもこういう雷が落ちた。こういう時には、こげん云うてからおごられたというて、雷が落ちたおごられた話をなさいました。それでもあのような徳を受けられ、あのようなおかげを受けておられるという事は、あれはもう例えば平田 しげきちが怒っとるのじゃない、いうなら次元の違った人のおごりなのだと。まあ私も思うたり云うたりする事があります。「私がブーッとしとる時は私がブーッとしとるとじゃなかばの。神様がブーッとしてござる時よ」「私が腹けえたごたる時は私が腹かいとうとじゃなか、神様が腹かいてござるとよ」と私がいう風に申しますから、私が御結界奉仕をしておる時に「いや今日は先生、妙な声しちゃったばい」そげん時には本当に引き締まるごたる思いがする。やっぱ神様が妙な顔してござったと皆さんが思われる訳です。確かにそうなんです。次元が違う、自分の私利私欲とか 自分の考えで腹を立てたりおごったりしとるとじゃない、神様の立場になっておごるとたい。だからこそ天地が自由になるほどしの徳をやはり受けておられるじゃないかと。だからね、例えば家の中で雷が落ちてもやはりこれは不和のなきが元というそういう元はしっかり握ってのその雷だということが分かりますでしょ。金光様信心しよってぶっすりがっすり云っちゃならん、そげな大きな声出してからというておさえる、そういうものじゃない事が分かる。同時に仲良う楽しゅうというてマイホーム的な家庭を築くという事は、それは楽しい事ではありますけども、事何かが起こってまいりますともうそれでプーッとしたりよく云いますよ、はああそこはえらい笑いがしめきてから都合よくやっていきよるが、お金が入ったばいの、と。もう違わんごとお金無か時には親子喧嘩、夫婦喧嘩ありよるとこ。だから近所の者の方が、この頃あそこは都合よく笑いでしめきていきよざるが金が入ったばいの、と。茶碗の割れた音がしたり泣いたりわめいたり、はあこの頃あそこは金がのうなったばいのーとすぐ分かる家庭がありましょうが。ですから金のある間だけは、そのいつも笑顔でニコニコしとると云ったようなものでもない事が分かりますよね。金はあってもなかっても、いうならもう明日食べる物が無いと云うても、ねっ、私は有り難いというものでなからにゃいけんと思う。私共修行中はそれがしょっちゅうでした。「もうお父さん今晩ぎりですよ、御飯は。」もうそういう時にですね、もうそりゃどうするかという事がない。そんならいっちょどっか米をちっとばかり借りてこいという事もなかった。今日までね、食べつながせて頂いとった事が有り難いじゃないか、家族中の者が腹いっぱい頂けた事が有り難いじゃないか。明日は明日。明日は又神様の風が吹くに違いないことを確信しておる。もし神様が食べるなとおっしゃるなら、断食でもさせて頂く腹でおる。「さあさあ、もう今夜は神様にお礼を申し上げて休もうじゃないか」と云ったような事が続いておった。もう間違いなしにおかげわ下さった。もう本当になるほど自分達が食べよるとじゃないなあ、生きとるとじゃないなあ生かされて生きておるんだなあという事を家族中の者が、いやというほど味合わせて頂いた。そういう時分に、その例を申し上げるなら本当にほおーちゅうごたるおかげをいつも頂いてきた。いよいよ私の中に神様が生き生きとしておかげを頂いて下さるようになってきた。私はね、家庭に不和がないという事はね、そういう事だと思うんです、お道の信心で。あるいは、総代の高柴さんだったでしょうか、もう二十年近く前に頂かれた御教えの中に『小我を捨てて大我に生きぬけ』という御教えを頂いた事があった。小我を捨てて大我をお互いが我を捨てにゃいかん。我のあるばっかりに家庭が思わしゅういかん、我があるばっかりにおかげが受けられんというけれども、そういう小さい我はおかげの受けられん我は捨てさせて頂いて思いきり大きな我というもの、いわゆる大我である、いうならば大きな欲である。小欲を捨てて大欲に生きぬけという事もいえると思うです。もう目先目先のこまか欲の事は云わん。それこそ神様が無尽蔵に限りなく下さるような、それこそ横八じゃなかばってん腹がよじれるごとある。∞腹がよじれるような時であっても大我に生きぬかせて頂く為の信心が出来ておる時には、そこんとこを有り難く、又は元気な心で受けていく事ができる。いわゆる無限大の横八は記号だそうですが、その無限大いわゆる無尽蔵に頂けるおかげにつながっていくところのおかげが受けられる。目先の欲わ捨てて大きな欲をひとつもたなければいけません。
御神米を頂いておかげを頂いた。もちろん御神米も頂くけれども、教えを頂いてそれが心が開けてまいりましておかげを頂いた、お願いをして頂いておかげを頂いた、おかげもいろいろあります。今日も朝の御祈念の後に久留米の佐田さんがお届けをされました。あちらの親戚にぶんごもりのあれのまた山奥の方へご親戚があって、ここへいつも御夫婦お子さん方も参ってみえせれます。かなかな良い信心をされます。もう大変なおかげを受けた方達です。それがこの頃から電話がかかってまいりましてね、佐田さんの所へ、もうそれこそ毎晩毎晩うずき通しにうずくというようなかさがお尻にできた、もうあたまがない、こんなに腫れて身動きができない、どげんさせて頂いたらよいか合楽にお届けをしてくれという事であった。そしたら「そのままおかげを頂け」という事であった。まあ親戚の者が苦しみよってからとてもこげな事ば医者にも掛けんなんていけん。どうでんこうでん云われりゃ又云われたで又お願いされておかげを頂いた。もうとうとう親戚の人が何かで集われる事があって見えて、あんまりな事なもんですから親戚に病院があったそうです、だから病院にそれこそ無理やりに連れて行かれた。そして医者が手術をすると云うげなばってん、「いや、親先生がしちゃでけんって云われるけんせん」て云うてから病院に行ってから絶対させなさらんじゃった。もういよいよ押さえつけてからするという、その日に今朝の丁度朝の四時の御祈念の親先生が丁度、御祈念の座につかれたなと同時にですね、【 】をつけてあったそうです。ところがそこから周囲に御神米ょいっぱいおまつりしてある、その御神米をはっとるところからはげ出した。もうその血、膿が出ること出ること、今も出よりますというて丁度佐田さんが朝の御祈念に出てこられようとした時に電話がかかってきた。丁度、四時の御祈念の一緒だったと。しかも、ほげるなら一番かれとるところからほげそうなもんところへですね、その周囲の御神米がはってあるところからほげだした。神様の働きを見せて下さるんですよねえ。そういうやはりおかげもある。かというと、教えを頂いて自分の心が開けてくる。その開けてくる心がです、これは願わんでも神様が下さるおかげにつながっていくというようになる。
今日皆さんが、それこそたくさんな車が来ております。又はそのお祓いを願っておられる方達がありますが、どうでも一台一台の車の上にも平穏無事、本当に無事故でおかげを頂かれるように一心に願わせて頂いた事は、それこそそれはどの位の功徳があるか分からんけれども、大変な私は功徳があるものだと皆さんが確信されて、しかもその祈りをね維持していく、それをおかげを頂いていく事の為に私共がいつも思わせて頂くとお礼が足らない、喜びが足りないという事をいつも気がつく。何かがあったらお礼不足だなあとすぐ思う。だからそこのところを本気で気付かせて頂いておかげを頂かせてもらわな・・・。
私は今日はいつもあそこは障子を締め切ってからせんとお話がでけん。今日だけは特別、あそこを開けといてからお祭りも自動車さんたちにも拝んでもらへ、私の話も聞いてもらうというような気持ちで、あそこまでみんなが並んでござるつもりで私は今日お話さして頂いた。もう自動車さんもそうかそうかというて聞いて下さったことだろうとこう思うんです。これはですね絶対ね、この物体というものには又もうひとつれいたいというのが必ずあるんですよ。これは私が二十年前頃にいろいろ神様にお知らせ頂きよる時分に頂いた。もうすべてのものに、これにはこれと同じ物がもうひとつ神様の世界にあるんです。自動車があそこにある、それと同じ物があるんです。あの高良さんなんかに参りますとね、あの御神馬というのがありましょうが。天神さんに参ると御神牛というですかねえ、牛がありましょうが。あれは天神様があちらでお使いになる。高良さん様が神の世界でお使いになるあの馬と同じ物があるんですよ。これはね、そのような霊妙不可思議な世界なんです、信心の世界というのは。ですからとにかく命あるもののごとくです、どうもご苦労さんでした、ぐらいな気持ちはね自動車に対してもたなきゃいけない。久留米の自動車の修理をなさっておられますりゅうさんなんかはね、もうそれはそれはとにかく何よりかによりも自動車を私は愛すると云われる。夜中なんか寒い時なんか、今はもう大きな家になりましたけど、以前は外に【 】しておられました。今晩は冷えるなあと思うたらもう寝ちゃおられんって、
夜中に起きてからむしろをかけてくるという。本当云うたら私は自動車の中で寝るとが一番好きと云われます。ですからあちらでおかげを受けられるそのおかげというのが違うでしょうが。もうそりゃ本当に生きた物のようにいわばりゅうさんの為に自動車が働いてくれる。自動車だけの事ではありません、すべての事の上にです、そういう事をそれこそ乗り捨てるといったような事を云いますけれども、私共はいつもその事を心の中にかけさせて頂いて、いわゆるいくらお礼を申し上げても申し上げても足りんのがお礼です。だからしんからお礼を申さして頂いておかげを頂かしてもらわないかん。
今朝の御理解の中にもね、この頃平田さんが云うておられました。それも話の中に何回も出てまいりましたのは、甘木の初代が私共夫婦にこのように教えて下さったという事であったでしょ、「平田さん、あたりまえの信心じゃあたりまえのおかげしか頂かれんばい」「ちーったましなおかげを頂きたいなら、ちーったましな信心をせにゃ」これが先生のお言葉であった、いつも。だから普通人並みではでけん。人並みではでけんというのが、あのような信心に・・・平田さん達夫婦を育てた訳なんです。そんならあたりまえの信心とはどう云うことかと。毎日お参りします。と、そういう信心ならもう全国至る所にどるだけおるやら分からん、そうでしょうが。だからそういう信心はあたりまえな信心です。だからちーった違うという事はどういう事かというとですね、こげん田植えの忙しかという事は神様も御承知だから、今日は売り出しでこげん忙しか事は神様も御承知だから、もう神様も御承知だから御無礼しよう、もう金の無か事は神様が知ってござるとやけん今日は大祭ばってんすぐ出て参ろう、と。もう神様が知ってござるだからそれがあたりまえ。だからそれではあたりまえのおかげは頂けても特別な
おかげは受けられませんですよ。本当に今日は御大祭、けれどもさあお供えする物がない、それでも相すまん。
私はいっぺん親教会の大祭の時に、大祭前の何日前かに帰ってきよった。丁度
家内子供が福岡の方から椛目の方に帰ってきておった。その前のビルの時に「お父さん、ここはもう配給でがつがつでいきよんなさるとじゃからあちらで配給があったならいっぺん分でいいけん、とってから持ってきて下さい」とこう、やくやく家内が頼んでおった。だから私はあの時分のメリケン粉は、真っ黒なメリケン粉でしたよね、あのメリケン粉を丁度、メリケン粉袋いっぱいをそれを持って椛目の方へ帰らせてもらい、そのまま大祭の御用を頂かせて頂こうと思うて西鉄の電車乗り場にずらっと並んで待っとった。そして待っとる間にいろいろ思わして頂いて寂しゅうなるんですよね。おかげを頂いてこの頃は祭典費だけはお供えしたばってん大祭だと年に一回の御大祭というのに。それはね春夏秋冬とあるばってん夏の大祭は一回、春の大祭は一回、やっぱり一回だけ・・・。やっぱ一回の御大祭にお供えも出来んということは今度が初めて、本当に残念な事だなというてからしみじみ寂しゅうなってこうやって下、うつむいとった。御祈念さして。 そしたらね、神様が私が足元においとるそのメリケン粉の袋を・・・そこにあるじゃないかと云わんばかりに示して下さるんですよ。そん時にはじかれたように思いましたね、私は。はあーほんなこつと思いました。ここにあったと思うた。
だから椛目に持って帰るはずだったそのメリケン粉を、そのまま親教会にお供えさせて頂いた。という気持ちにならせて頂いた。ほんなこと、ここにあった。
そしたらね『私の目の前がずーっと広い広い湖にになった』御神願に。それ前にねその日に思うたんですよ、ここにあったと思うたらね私の御神願に頂くのがニワトリ。雌鶏が首を羽の中につっこんで、いわゆる思案投げ首しておるといったような感じ、そしてヒヨコがねバタバタ倒れていくところを頂くんですよ。だから私が「はあ、そうだここにあった」と思うた時に神様はね又ほんなもんかどうかつつかれた訳ですね。いわゆる雌鶏っちゃ家内の事でしょう。家内が思案投げ首でお前の帰ってくるのをもうそれこそ私を待っとるとじゃない、メリケン粉を待っとるとです。これば持っていかなかったら子供達はパタパタと倒れていくような事になってもよかか?云われた気がしました。もうそん時には、なおさら元気がでました、ほんなこんです。神様はね、私共を生かして下さると神様のおかげを頂かなければ生きられんと、もうこれはそれこそ耳にたこが出来るごと聞いとるとじゃん。けれども私にとっては年に一回の御大祭でございますから、これは今気付かせて頂いたが最後、これはもうお供えさせて頂かなければおられないのだと。だから「どうぞ死のうが生きろうが家内子供の事は神様、よろしゅうお願いします」という腹で御祈念させて頂きよったら今云う、湖がずーっと開けてくるところを頂きましてね、小さい水鳥がね餌を求めておるけれども餌が無いもんだからパーッとこう水面いっぱいにちらかっていくところわ頂いた。それからしばらくしたら向こうの方からそれはもうそれの十倍も二十倍もあろうというような大きな水鳥がですね、口に何かこう魚のようなものをくわえて【 】子供達の後を追うて行くところを頂いたんです。神様とはそういうようなお方なんですよ。これはまあ後日なんですけれど、大祭終わって帰らせて頂いたら表に自転車があるもん。それへメリケン粉をいっぱいつけた人が来とる。私がある支那人の中華の【 】の方ですけど、お商売のお世話をしとった事がある。だからそのお礼にと云ってね、メリケン粉いっぱい持って来てござる。もうしんちゅう軍からの配給受けとるやつですけん、それこそ光る米に対する光るメリケン粉ですよねえ。真っ白なメリケン粉をいっぴょう持ってきてからお礼にきちゃった。ですからあたりまえだったら私は今日おかげを頂いとらんです。もう無かこと知っちゃるけん神様がと云ったら・・・。ですからね、あたりまえじゃあたりまえ、忙しいからもう神様が御承知じゃから、そこんところをです・・・。
昨日は日の熊荘という日田のホテルの人がお導きして夫婦で参ってきた。それで「せめて月次祭くらい出来るとですね」というけれども「夜のご商売だからお参りが出来なさらんですね」と私が云うたら「いいえ、参ると思やあ参られん事なかですよ」と私に云わしゃったです。そっちの方が。問題はそれなんです信心とは。参ると思えば参られん事はない、絶対。これは思うた事、だから日参りをせろという事じゃないです。自分の心の中にこうと決めた事はです、誰がなんと云うてもどうであっても、それが人が笑ろうてもです、こん田植えの忙しかつ、馬鹿じゃなかじゃろか金光様参りどんしよってと、それは云われてもいいって、そこから先がねおかげだ。という今朝の御理解に。そこまではあたりまえのおかげ。おかげでね、いわば仲良う楽しゅう有り難うというておっても、その有り難いというものがです、その神恩報謝にこたえ奉らなければおられないという伝導力になった時にそれから先がお徳だという事。だからそれまではおかげ。金光様の教祖様はですね、信心してもうみんなに徳を受けてくれよという御教えなんです、あの全部が。信心しておかげを受けてくれよとおっしゃる、そういうおかげなんです。だから人が人偏なら私はぎょう人偏、ここに只ちょっとノの字を書くだけなんだ。そこにね、信心の妙教があるんです、本当は。いわゆるあたりまえの信心じゃあたりまえの喜びです。ですからあたりまえの信心じゃあたりまえのおかげばいと甘木の初代がおっしゃったということが分かるでしょ。そこで例えば、おしの強い一にも神様二にも神様と云ったような信心が、平田さんの信心があのようにして育てられなさったと私は思うんですよね。そういう私共が信心を育てさせて頂いていくうちにです、今日私が申しましたねえ、お祓いをしてもろうたとお祓いを受けたと、それからだんだん信心によって自分で自分の心を我が心で祓う事もありゃおかす事もある。ほんの我が心のこちらへ向けりゃおかげになる、こちらへ向けりゃおかげを落とすといったような事が自分で自由自在に使えるように段々なってくる。それは信心の徳を受けて例えて云うと肉眼をおいていわば心眼を開かせて頂くものですから、人が不平を云よるところをお礼を申し上げることになってくる訳です。そすと同時にです、神様がはろうて頂くという事。はろうて頂くという事はどういう事か。さきほど私が申しましたようにね、神様がね、おかげを下さろうとしてお取り祓いが始まる。皆さんがね、おかげ頂きたいおかげ頂きたいという。ひとつの借金に例えましょうか。一万円の借金があって、もう信心しとります困っとりますと、だからどうぞおかげを頂かして下さいとこういう訳なんです。一万円で例えば苦しまなければならんならですね、神様に必ず一万円の貸しがある時と思うて間違いなかです。ですから、まず神様借金ばらいをして下さい。小さな御教えの中にね、氏子がおかげを頂かせてくれというから神が取りはらいにかかると、もうこのくらいでよございます、という氏子が多いとおっしゃった。信心さして頂いてね、困ったことがお貴意くる事はもうすべてお取りはらいなんだ。ところがもうこのくらいでよございますもう借金なしまえんでよございますというけん、いつまでも残るはずがない。そういうのを私は取りはらいと思うです。神様のお取りはらいを頂いた。私共は吐く息吸う息、神様のおかげ無しには出来ませんが、吸う息は有り難いにしても吐く息はね、いわばもう御用にたった息なのですからこれはお取りはらいを頂かなきゃならん。つばが出る鼻が出る大小便が出る、すべてお取りはらいなんです。はあ小便にでん大便にでん行く時にはね、お取りはらいを頂いてありがとしてこたえんというて泣かにゃいかん、お取りはらいを頂きよるのじゃけん。